沿革
昭和27年2月、従業員100人以上の東京都内の印刷会社41社が参加し、印刷工業会の前進となる東京印刷工業会が設立された。
戦後の数年間は、業界団体を指導育成する立場にある商工省(現・経済産業省)にも確立した方針がなく混迷していた時代であり、印刷業界も数ヶ月か1、2年ごとに組織の変革を繰り返していた。
戦中・戦後の業界団体の主な業務は、用紙および資材の統制配給だったが、昭和24年に紙が統制撤廃になると、印刷工業者の自主的団体を組織する気運が高まり、同年9月に日本印刷工業会が発足した。しかし、戦中から戦後にかけて多くの試練を経てようやく結成されたこの日本印刷工業会も業界不況、大企業と中小企業との対立などが重なって財政状態が悪化。組織の弱さもあって2年を経ずして行き詰ってしまった。
このような状況下、新しい組織としての日本印刷工業会を確立するため、財政、事業運営の基盤として、東京印刷工業会が発足し、併せて同年3月、新しい日本印刷工業会が設立された。
東京印刷工業会は、業界安定のため、経営の合理化を主唱し、官庁、出版界と取引条件の意見交換を行うほか、紙、インキの印刷適性について、業界合同の研究会を設け印刷製品の品質改善を図った。また、印刷業界の地位向上のため「印刷週間」の実施を提唱。同年9月20日から1週間をその期間とした。この期間中に日本印刷工業会と共同主催で第1回印刷文化典を開催した。
このほか税務、金融、機械設備の近代化、海外貿易の振興、印刷会館の建設などの多くの事業を遂行した。
昭和45年10月、全国組織として印刷工業会と改称した。昭和49年5月、フォーム印刷が分科会から独立して、日本フォーム印刷協議会(現・日本フォーム印刷工業連合会)が組織され、日本印刷工業会は、印刷工業会、全日本印刷工業組合連合会および日本フォーム印刷協議会の3団体で構成されることになった。昭和60年6月の(社)日本印刷産業連合会の設立により、日本印刷工業会は33年間にわたる幕を閉じたが、印刷工業会は日印産連の中枢母体として役割を担っている。現在、12の部会を中心に据え、これを活動の基本としている。
印刷工業会は大手印刷会社と中堅印刷会社が相互に協調して社業の発展と印刷業の地位向上を図り、印刷を通じて社会的役割を果たすことを目指している任意団体である。
活動の中枢となるのは部会活動であり、団体と企業のコミュニケーションの接点となっている。部会は出版印刷、教科書印刷、商業印刷、紙器印刷、軟包装、液体カートン、建材、情報セキュリティの営業関系8部会と、資材、教育・研究、技術、女性活躍推進のスタッフ系4部会があり、それぞれ自主的な運営により各社の企業経営に寄与するとともに、諸活動を通じ、一層の業界秩序の確立、協調の基盤強化を図り、印刷業界の地位向上に努めている。
平成5年からは、営業部会の各部会長が委員となり、独占禁止法遵守の徹底を図り、適正な取引を進める機関として「公正取引推進委員会」を設けた。現在は、営業8部会とスタッフ4部会の計12部会によって構成され、より開かれた組織活動を目指している。
また、経営に役立つ事柄や新技術などを題材に著名人を招いた講演会のビジネストレンドセミナーを年に2~3回、テクノロジートレンドセミナーを年1回開催している。一方では、総会、理事会、部会活動、会員異動、講演会報告などについて紹介する会報誌「PAJ Journal」と、最新の技術情報や継続的な統計数字を掲載する経営・技術情報誌の「Printing Information Digest」を発行し、会員への情報提供を行っている。
変遷表
(注)この変遷表は印刷工業会を中心とし、(一社)日本印刷産業連合会との関係を示した。※現在の(一社)日本印刷産業連合会 加盟10団体
印刷工業会 | 全日本印刷工業組合連合会 |
日本フォーム印刷工業連合会 | (一社)日本グラフィックサービス工業会 |
日本グラフィックコミュニケーションズ工業組合連合会 | 全日本製本工業組合連合会 |
全日本シール印刷協同組合連合会 | 全国グラビア協同組合連合会 |
全日本スクリーン印刷協同組合連合会 | 全日本光沢化工紙協同組合連合会 |